今回は中学生の勉強範囲における「宗教改革」について解説してみたいと思いますのでよろしくお願いします。

テストに出やすいところは赤文字にしてありますので参考にしてみてください。

中世ヨーロッパはキリスト教が支配していた

紀元前のことをB.Cと表しますが、これは「Before Christ」の略で、キリスト以前という意味があります。つまり人類の歴史はキリストが生まれる前と後で分けられている訳ですね。

紀元1年にエルサレムで生まれたイエスは救世主を意味するキリストの名で呼ばれるようになり、死後その弟子たちがキリストの教えを広める形で徐々にキリスト教が形成されました。

キリストの弟子の中でもペテロパウロは有名なので覚えておきましょう。

当時のヨーロッパはローマ帝国という巨大な帝国が支配していて、キリスト教は始めはひたすらに迫害されていたのですが、徐々に勢力を拡大していき4世紀後半にはローマ帝国の国教となっていました。

その後ヨーロッパ世界の覇権はローマ帝国からゲルマン諸部族に移り、ゲルマン系巨大国家であるフランク王国がキリスト教を保護すると、ローマ=カトリックは大きな力を持つことになります。

*キリスト教の本部でもある教皇庁はイタリアのローマに置かれています。現在でもローマの中にあり、バチカン市国という名前になっていますね。なお、バチカンの土地はイエスの第一の弟子であったペテロ(サン・ピエトロ)が亡くなった土地だと言われています。

中世ヨーロッパでは収入の10分の1を教会に収めなければならないなど大きな力を持っていました。

贖宥状とローマ教皇と宗教改革

宗教改革が起こった頃の教会組織は腐り果てていました。

汚職は蔓延し、官位は売買され、ついには購入すると罪が免除になる免罪符(贖宥状)の販売を当のローマ教皇であるメディチ家レオ10世が開始しました。

サンピエトロ大聖堂の建築にお金が必要だったと言われていますが、地獄も沙汰も金次第とは言ったもので、熱心なキリスト教信徒には腹に据えかねる行為だったと言えますね。

*余談ですがこの頃のローマ教皇はメディチ家やボルジア家と言った富裕な貴族が就任することが多く、おおよそ聖職者とは思えない記録が多数残っています。例えば200人ぐらいの婦人と不倫を繰り返したとか・・・

贖宥状の販売に特に反発したのがドイツ(当時は神聖ローマ帝国という国名でした)の神学者であったマルティン=ルターです。

1517年彼はヴィッテンベルクの教会に「95ヶ条の論題」を掲出し、世論に教皇庁の行いに関しての問い正しを行いました。

ローマカトリック側がこれに猛反発、マルティン=ルターを破門にします。

当時ローマ教皇から破門されるということは人ではないと宣告されるようなもので、中世の王様なども破門された結果謝罪してこれを取り消してもらうなどの事件も起きています(カノッサの屈辱)。

しかしドイツの諸侯はルターを支持し、自らの居城などにかくまうことにしました。

また、フランスで生まれた神学者カルヴァン(カルヴィン)スイスのバーゼルで「キリスト教綱要」を出版、ローマカトリックとは別路線を歩むことになります。

ルターやカルヴァンを支持する層はローマ=カトリックに反抗する者(抵抗は英語でプロテスト)という意味の「プロテスタント」と呼ばれることになります。

このようにローマ教皇を中心としたローマ=カトリックの権威を真っ向から否定したことから一連の流れを「宗教改革」と呼ぶわけです。

日本でもプロテスタントを主体とした大学は多数あり、同志社大学や青山学院大学、関西学院大学などは有名ですね。

反宗教改革とイエズス会

カトリック教徒の中には宗教改革に反対して1534年、イグナティウス=ヨロラやフランシスコ=ザビエルらが対抗組織である「イエズス会」を作りました。

フランシスコ=ザビエルはハゲの代名詞みたいな扱いを受けていますが、キリスト教を布教するためにわざわざ極東の日本にまでやってきています。今と違ってまさに命がけの度だったわけですから根性ありますね。

ちなみにイエズス会は日本でも大学を運営しており、上智大学は有名です。