前回は総裁政府が誕生したところまでやりました。

今回はナポレオンの登場から現代のフランスまでの歴史を見ていきましょう。

*試験に出やすい箇所は赤字になっています。

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ナポレオンの登場と第一帝政

フランス史における英雄と言えば100年戦争時のジャンヌ=ダルクとナポレオンの2人の名が真っ先にあがるでしょう。

ナポレオンの歴史的評価は非常に難しいですね。

革命の英雄であり、フランス革命において民主国家を誕生させたフランスを帝政に戻した皇帝でもある。

彼は民主化の味方なのか、それとも敵だったのか?

ナポレオン=ボナパルトは1769年にフランス領だったコルシカ島で生まれ育ちました。

領土的にはフランスですがほぼイタリアですね。

成長したナポレオンはフランスの陸軍士官学校に通うことになるわけですが、そのころにはコルシカ訛りが酷くイジメの対象だったようです。

そういった背景もあってナポレオン自体はフランス革命にはそれほど興味がなかったと言われています。

彼が陸軍で出世を重ねたのは士官学校時代に学んだ大砲の扱いがうまかったからで、当時あまり実用的だと言えなかった大砲を駆使して反革命軍である第1次対仏大同盟に勝利を重ねていきました。

この辺りは鉄砲を実用化させて勝利を重ねた織田信長に通じるものがありますね。

トゥーロン港の攻囲戦に勝利したナポレオンはわずか24歳で少将に相当する地位に就いたのですが、ロベスピエールの弟と仲が良かったため1時期は左遷されていたこともありました。それでも革命期の対外戦争において彼の軍略的才能は必須であったためヴァンデミールの反乱の際に再び活躍し、中将相当の地位まで上り詰めました。

その後はイタリア遠征を経てハプスブルク家のオーストリア相手に連戦連勝、カンポ=フォルミ条約において第一次対仏大同盟を崩壊させるに至ります。

その後の1798年には当時イギリス植民地であり海運の要所であったエジプト遠征を開始、ピラミッドの戦いでは勝利をおさめるもののアプキール湾の戦いではイギリスのネルソン提督に敗れてしまいます。

このエジプト遠征の際に持ち帰ったロゼッタストーンに書かれたヒエログリフシャンポリオンによって解読されましたね。

さて、この勝利に勢いを得たイギリスは1799年に第2回対仏大同盟を結成し、フランスはピンチを迎えることになります。

一時はエジプトで孤立したナポレオンでしたが、少数の側近とともに帰国すると国民の熱狂的な歓迎を受けます。

そしてそのまま総裁政府を打倒すると自身を第一統領とする統領政府を樹立します(ブリューメル18日のクーデター)。

*ブリューメルというのは11月のことです。

その翌年には二回目のイタリア遠征開始、1802年にマレンゴの戦いに勝利、リュネヴィル条約にてオーストリアを屈服、同年に教皇庁との和解(コンコルダート)を果たすと1802年にはイギリスとの間にアミアンの和約が成立、これにより第2回対仏大同盟は解散することとなりました。

第一帝政

アミアンの和約後に終身統領に就任したナポレオンですが、1804年には国民投票により皇帝に就任し、第一帝政が開始されます。

この事件に対してオーストリアの作曲家ヴェートーヴェンがナポレオンを賛美するはずだった交響曲第3番の表紙を破り憤った逸話は有名ですね。

ナポレオン皇帝就任に反発した各国は第3次対仏大同盟を結成、1805年10月にはトラファルガー海戦が開始されています。

この海戦にてナポレオンは再びネルソン提督に敗北しますが同年12月にはアウステルリッツ三帝会戦にてロシア・オーストリア軍相手に大勝、プレスブルグ条約が結ばれます。ちなみにですがフランスの有名な凱旋門はこの勝利の記念に建造されたものです。

この頃はナポレオン及びフランスという国の絶頂期とも言え、イギリス、ロシア、スウェーデン、オスマン帝国を除いたヨーロッパのほとんどが領土となり、兄のジョセフをナポリ王に、弟のルイをオランダ王にした後はライン同盟を結成し、神聖ローマ帝国を解体させました。

1808年のスペインブルボン家への介入(半島戦争)などを経て兄をスペイン王にするなど影響力のある領土は最大となります。

有名なゴヤの絵「5月3日の処刑」はナポレオンのスペイン支配に対する怒りを表した絵として有名ですね。

1806年フランスはイギリスとの貿易を禁止する大陸封鎖令(ベルリン勅令)を出しますが、ある意味でこれが没落を招くことになります。

フランスの側にイギリスの工業製品が入ってこなくなったため、経済的にはフランスの方が打撃を受けたと言われています。

しかし決定的な没落の原因は対ロシア政策の失敗にあると言ってよいでしょう。

1807年のティルジット条約では宿敵プロイセンの人口および領土を半減させることに成功し、ポーランドをワルシャワ大公国として復活させ、対ロシア相手には大陸封鎖令への協力及びロシアのイギリスへの宣戦布告を確認することができましたが、1810年にはロシアがイギリスに対する大陸封鎖令を破ってイギリスとの貿易を開始、1812年にはナポレオンによるロシア遠征が開始されます。

同盟国を含め60万人という大軍隊でロサを攻めましたが、ロシア側のクトゥーゾフ将軍の焦土作戦によって補給線が壊滅、冬将軍の到来などもありロシアから撤退する際には当初の1%の人員にも満たないわずか5000人の兵士しかいなかったと言われています。

その後はプロイセンが中心となって第6次対仏大同盟が結成され、それでもいくつかの戦いにおいて勝利を収めたフランス軍でしたが、トラーフェンブルグ・プランと言われるナポレオン本隊との交戦を避ける同盟側の戦略が功を奏しフランス軍は徐々に力が削られ、1813年に起こったライプティヒの戦い(諸国民戦争)では大敗を喫することとなりました。

翌1814年にはナポレオンは退位させられ、エルバ島への島流しが決定、ブルボン家の生き残りであるルイ18世が即位、その後の処遇などを決めるウィーン会議が始まりました。

1815年にナポレオンはエルバ島を脱出し、勢力を一時は回復しましたが、ワーテルローの戦いにて大敗、セントヘレナ島へと流されることとなりました。

ナポレオン自身は1821年にセントヘレナ島にて死去、死に際には以前の妻であるジョゼフィーヌの名を口にしたと言われています。

ナポレオンの行った内政政策

ナポレオンというと軍事的業績の印象が強いですが、自身が「余の真の栄誉は40回の戦いの勝利ではなく、永久に生きる余の民法典である」と言っているように内政政策に力を入れている面もありました。

ナポレオンの内政政策で覚えておきたいのは以下の3点です。

フランス銀行設立(1800年)

・レジオンドヌール勲章(1802年)

ナポレオン法典(1804年)

レジオンドヌールと言えば北野武や伊藤博文などが受賞していますね。

中でも重要なのはナポレオン法典です。

特に法学部を受験する受験生は内容まで理解する必要があります。

ナポレオン法典の中でも重要なのが以下の3点です。

① 所有権の絶対(私有財産の尊重)

② 契約の自由(経済的自由主義)

③ 家族の尊重(夫の監督権)

特に①の財産権の尊重という部分は重要ですね。某国などはいまだにこの部分が保証されていなかったりしますからね…

ナポレオンってなんでこんなに強かったの?

これから先は試験とかにはあまり関係ありませんが、どうしてナポレオンってこんなに強かったのだろう?ということについて少し触れたいと思います。

ナポレオンの軍略などが優れていたこともあるのですが、やはり一番はフランスの国力が高いという点に要因があると思います。

当時のフランスの人口は約2700万人と言われており、約1500万人と言われるイギリスの倍近い人口を抱えていました。同時期ドイツのプロイセンは900万人、ヨーロッパ全体で1億7000万人ほどだったと言われているため人口的にみても大国だったことが伺えます。

そしてその背景には工業生産量があり、当時イギリスに次いで2位、プロイセンの約3倍ほどであったそうです。フランスはイギリスに次いで産業革命がおこったとされており、人口と産業的に優位にあったことがその強さの秘訣と言えますね。

そういう意味で最も生産量の多いイギリスとの間に大陸封鎖令を出したのはナポレオン最大の失策の1つだったと言えるでしょう。経済的に困窮したヨーロッパ全土からの不満の声があがり、ロシア遠征の原因を作ってしまったとも言えます。

また、フランス軍は非常に士気が高かったことも強さの秘密でしょう。

ローマ時代のファルサロスの戦い、ギリシャ時代のペルシア戦争、古代中国の牧野の戦いなど圧倒的劣勢において勝利した歴史的な戦いにおいては兵士の士気の高さという共通点があります。

現在でもフランスの国歌である「ラ=マルセイユーズ」はフランス革命の時に国歌になったわけですが、「国民」という概念が生まれたことも大きいでしょう。のちのナショナリズムの高揚にもつながるのですが、封建的支配下にあるロシアやオーストリアの兵士に比べフランス国民の士気の高さは比べるべくもなかったでしょう。

事実若き「ウェルテルの悩み」で有名なゲーテはヴァルミーの戦いに従軍し「ここから、そしてこの日から、世界史の新たな時代が始まる。」という言葉を残しています。

ヴェートーベンの逸話といい、当時のヨーロッパ人がいかにナポレオンに期待していたかわかりますね。

国力の高さ×兵士の士気の高さ×ナポレオンのカリスマおよび軍略

ここまでの条件がそろえば敵なしなのもうなづけますね。

ただ、先に名誉革命を経て民主化したイギリスにだけはついに勝てなかったのもまたナポレオンを象徴していると言えるかも知れませんね。

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