前回に引き続きフランスの歴史についてみていきましょう。

前記事:試験に出るフランスの歴史(先史~中世まで)をプロが解説【受験対策】

*試験に出やすい用語が赤字となっています。

ヴァロワ朝の絶対王政

前回100年戦争に勝利したヴァロワ朝の権力は益々伸びていきます。

その背景には100年戦争における騎士階層や諸侯階層の疲弊と没落、および国王側の官僚制度常備軍の整備などがあげられますね。

これまでフランスは中央集権的な絶対的国家というよりも諸侯の集まりをまとめる王が存在していたという形でしたが、近代以降官僚制度と常備軍の整備による中央集権化が進み、所謂絶対王政の基礎が出来上がっていきます。

イタリア戦争

ヴァロワ朝のシャルル8世はイタリアにおける覇権を得るべくイタリアへの侵攻を開始します(イタリア戦争)。

その際ドイツ・オーストリアに勢力を持つハプスブルク家との衝突が始まります。

フランスとドイツはフランク王国が分裂して以来仲が悪いのですが、特にヴァロワ朝・ブルボン朝とハプスブルク家の仲は悪く、長きにわたり抗争が続くのですが、直接的な争いの勃発はこのイタリア戦争に始まると言われています。

両家、両国家の遺恨は深く、フランス王家フランソワ1世は本来なら不倶戴天の仇であるイスラム国家オスマン帝国のスレイマン大帝と手を結びハプスプルグ家カール5世と戦いましたが結果はハプスブルク家の優位のまま終わりカトー・カンブレジ条約を結ぶことでイタリア戦争は終結します。

ユグノー戦争

16世紀後半にマルティン・ルターカルヴァンを中心とした宗教改革が起こるとその余波はフランスにも波及することになります。

フランスではカルヴァン派のプロテスタント(ユグノー)が増えており、フランス側がこれに弾圧を加えるといういわば内乱状態になってしまいます(ユグノー戦争)。

都市部ではユグノーに対する虐殺事件が多発しており、ついに1572年サン=バルテルミーの虐殺事件が起きてしまいます。

イタリア戦争ではイスラム勢力と結びついていたフランスが同じキリスト教勢力でかつ同じ国民同士で争うという狂乱状態になっていますね。

ちょうどこのころは世界史上最悪の狂気と言われる魔女狩りが頻繁に行われており、ヨーロッパ全体が狂気に包まれていた時代と言えるでしょう。

一連の虐殺によってユグノー側の中心人物だったコリニー提督が虐殺されており、国内のユグノー勢力は一気に力を失っていきます。

ちなみにですが虐殺を主導した人物は王太后であるカトリーヌ=ド=メディシスであると言われており、名前の通りルネサンス期に数多くの芸術家として知られるメディチ家の出身者です。

宗教改革のもとになった教皇レオ10世もメディチ家の出身であり、新勢力を各国で徹底的に叩いたことが伺えますね。

ブルボン朝

2018年のサッカーチャンピオンズリーグの覇者であるレアル=マドリードのレアルは王室を表す言葉ですが、この王室はブルボン朝を指します。

現代までその血脈を絶やさないブルボン朝は1593年アンリ4世が王位に就いた時に始まります。

ユグノー戦争の最中ヴァロワ朝の断絶が起こってしまい、同じくカペー朝の傍流であるブルボン家のアンリ4世が王位を継ぐことになったわけですが、この人物実は元々はユグノーでした。

先のサンバルテルミーの虐殺もアンリ4世を狙ったものだと言われており、その際カトリックに、次にユグノーに、そしてフランス王位に就く際に再びカトリックに改宗しています。

そのような経緯もあり、アンリ4世は1598年にナントの勅令を出しユグノー戦争の終結を宣言します。

アンリ4世自体は狂信的なカトリック教徒によって暗殺されてしまいましたが、現在でもフランス国民に人気のある国王の1人となっています。

ユグノー戦争の終結以外にも1604年にフランスの東インド会社の設立などを行っており、ブルボン朝の創始者として特に試験に出やすい人物でもありますね。

アンリ4世が亡くなるとルイ13世が後を継ぎます。

ルイ13世は幼くして王位を継いだこともあり、母親であるマリー=ド=メディシスと摂政である宰相リシリューが事実上の実権を握り絶対王政への基盤を盤石なものにしました。

ドイツで起こった30年戦争への介入などを通じて国際社会にも介入し、ドイツのハプスブルク家との対立を深めた時代でもありました。

晩年は宰相にマザランを置き、次代の絶対王政絶頂期への基盤としました。

太陽王ルイ14世

ブルボン朝と言えばルイ14世の存在は避けては通れませんね。

絶対王政の代表的な人物であり非常に多くの戦争をした人物でもあります。

ルイ14世については試験に頻出ですので、以下の功績は覚えておきましょう。

① ウエストファリア条約(1648年)

② フロンドの乱

③ ヴェルサイユ宮殿造営

④ 財務長官にコルベールをおく

⑤ 南ネーデルラント継承戦争⇒アーヘンの和約

⑥ オランダ侵略戦争⇒ナイメーヘンの和約

⑦ ナントの勅令廃止(1685年)

⑧ ファルツ継承戦争⇒ライスワイクの和約

⑨ スペイン継承戦争⇒ユトレヒト条約

⑩ ラシュタット条約

とにかく数が多いですね。フランスの人物ではナポレオンとルイ14世が特に内容が多いです。

定期テストでは赤字のところを、受験をする方は全部覚える必要があります。

さて、王位に就いたルイ14世は前代から引き続きマザランを宰相におき政治を行います。

*ルイ14世は即位したときまだ4歳の子供であったため政治は実質的にはマザランが行っていました。

マザランの外交手腕は確かなもので、この時期フランスは世界初の国際条約ともいわれるドイツ30年戦争の終結条約であるウエストファリア条約(1648年)においてアルザス地方とロレーヌ地方を手中に収めることに成功しています。

これにより最大のライバルであったハプスブルク家の勢力を大きく削ることができ、各種侵略戦争を行えたと言われています。

一方で同年フランス貴族によるフロンドの乱が起こります。

これは30年戦争に介入するために行った重課税が原因であると言われており、1642年にイギリスで起きた清教徒革命の影響もあったことでしょう。

この乱で一時期はパリを占拠されるまでになりましたが、最終的には反乱を鎮圧し、国王の権力を伸長させることになりました。

なお余談ですが、同時代の君主である康熙帝も幼少期にて即位後すぐに反乱がおきている点が類似しています。この2人の絶対的な君主はよく比較の対象になり、同時代の人物ですのでセットで覚えるのが良いでしょう。

1661年にマザランが死去するとルイ14世は自ら政治の実権を握る親政を開始し、領土拡大に意欲を見せることになります。

1665年には財務長官にコルベールをおき、所謂重商主義政策による国家財政の安定および官僚制、常備軍の強化などをおこないました。

そしてその血縁をもって各地の継承権を主張し戦争に介入していくことになります。

1667年には王妃マリー=テレーズがフェリペ4世の王女であったことから南ネーデルラント継承戦争に、陰謀により1667年オランダ侵略戦争(フランスオランダ戦争)、弟の妃がファルツの継承権があるとして1689年にファルツ継承戦争(大同盟戦争)などを起こしますがいずれも失敗に終わります。

その過程で1685年フォンテーヌブローの勅令により祖父アンリ4世によるナントの勅令を廃止しのちのフランス革命を誘発した面もあります。

唯一と言ってよい成功例は1701年に起こったスペイン継承戦争で、ハプスブルク家との10年にもわたる激しい戦いの結果、ユトレヒト条約(1713年)にてブルボン家によるスペイン王家の継承権を得ることができました。

王権神授説や自然国境説などによって絶対的な権力をもって侵略戦争を行ってきたことに加えヴェルサイユ宮殿の造営など太陽王の名に恥じない実績のある君主でしたが、結果を見れば国家財政を大きく逼迫させフランス革命の要因を作ったとも言えるでしょう。

事実ルイ14世を境にフランスの国力は衰退期に入ります。

フランス衰退期

ルイ14世が死去するとわずか5歳だったルイ15世が即位することになります。

この時代にはポーランド継承戦争で一定の成果を出した以外はオーストリア継承戦争で得るものはなく、1755年に起こった7年戦争(フレンチ=インディアン戦争)にてアメリカ大陸の大半の権益(ルイジアナ)を失い東インド会社は解散となるなどその衰退具合が目に見えるようになりました。

最もこの頃は後世に名を遺すルソーモンテスキューヴォルテールなどを輩出しており、文化的には恵まれた時代とも言え、市民革命の素地は作られたと言えます。

次代の王はブルボン朝フランス王家としては最後の王となるルイ16世の時代となります。

フランス革命

法学系、政治系の学部を受ける場合は頻出の分野となります。

ある意味では現代の法律や政治の基礎的な部分が出来上がった出来事と言え、重要度はAAAクラスと言ったところですね。

そのためかこの部分だけはやたらと細かいです。

フランス革命に関する解説は別記事にて行おうかと思っておりますのでここでは軽く流れだけ触れるにとどめます。

「市民革命」という名前から勘違いしやすいのですが、フランス革命の最初は貴族による反乱です。

当初フランス革命を主導したのはアメリカ独立戦争にも参加したラファイエットなどの貴族たちでしたが、やがてその構造が変わっていくことになります。

まずはフランス革命がおこるまでを軽く見てみましょう。

フランス革命の端緒は1789年の三部会の招集に始まると言われます。

3部会の最後の招集は1614年、ルイ13世の時代でしたね。

フランスでは三権分立で有名なモンテスキュー、社会契約論で有名なルソー、市民政府二論で有名なロックの革命権など所謂民主主義に対する機運が高まっていました。

1688年の名誉革命や1776年のアメリカ独立戦争など当時革命に対する熱が各国で沸き立っていた時代でもありましたね。

フランス革命においてはアベ=シェイエスという人物が「第3身分とは何か」というパンフレットが出回ったこともあり、アンシャン=レジーム(旧体制)に対しての不満が大きくなっていたことも大きかったと言えるでしょう。

さて、1789年の3部会に話を戻しますが、結論から言うと特権階級(王族・キリスト教勢力)の意見がまかり通り第3身分の意見は国政に影響しないことに不満を持った人々が、自分たちの議会を発足させるべく「国民議会」の設立を宣言します。

ダヴィットの有名な絵である「球戯場の誓い」はこの国民議会をフランスの正式な議会とするまでは解散しないことを誓う様子を絵にしている訳ですね。

特権貴族や王族は当然これをつぶしたいのですが、当時の情勢などを勘案してもこれを認めざるを得ず、国民議会は正式な議会としての承認を得ることになります。

その後は第3身分をけん制する意味もあり、軍をパリに集結させ、当時国民議会から人気の高かったネッケル(貴族ではなく第3身分出身)が財務長官を罷免されると怒った群衆は政治犯が多数収容されている「バスティーユ牢獄」を襲撃し、フランス革命の火ぶたは切って落とされました。

国民議会はその後「封建的特権の廃止宣言」を出し、かの有名なフランスの「人権宣言」を採択することになります。

この時期の中心人物はミラボーやラファイエットと言った自由主義貴族でしたが、ミラボーが死に、1791年の国王一家による国外逃亡事件である「ヴァレンヌ事件」から雲行きが変わってきました。

同年には憲法が制定され(1791年憲法)、立法議会が成立、亡命貴族の財産没収などの政策が実行されます。

この頃の議会は立憲君主派のフイヤン派と共和制派のジロンド派が力を持つようになり、ジロンド派は革命に反発しているオーストリアへの宣戦を開始しました。所謂革命戦争の始まりです。

「パンがなければおかしを食べればいいじゃない」のマリーアントワネットはハプスブルク家の出身で、現オーストリア皇帝のヨーゼフ2世の妹にあたります。マリーはオーストリア側に情報を流していたと言われ、「8月10日事件」において王権は停止、国王一家は幽閉されることとなりました。

狂気の時代

フランス革命は人権宣言などの重要な思想が世に出た出来事でしたが、同時に人の狂乱の歴史でもあります。

連戦連敗だったフランス軍がヴァルミーの戦いにて初勝利をおさめると議会では急進的な勢力であるジャコバン派が勢力を持つようになります。

ジャコバン派のダントンが演説を行うと反革命派への弾圧が始まり、反革命派と認定された人物は容赦なくギロチンによって処刑されました。

人々はギロチンによる処刑に熱狂し、開発者であるギョタン医師も残酷な処刑道具を作った罪でギロチン処刑されています。

この頃には国民公会が成立し、王制廃止が決議、1792年9月22日には共和制宣言が出され、フランスは民主化し、「フランス第一共和制」が始まります。

実権を握ったジャコバン派は1793年ついにルイ16世が処刑します。

同年2月にはイギリスのピット首相の提案による第1次対仏大同盟が結成され、フランスはヨーロッパ中を敵に回すことになりました。

同年3月には革命裁判所が設置され、4月には公安委員会が設置、6月にはジャコバン派による独裁政治、通称恐怖政治が始まります。

革命に異を唱える者は容赦なく処刑し、徴兵制度をしき1793年にはジャコバン憲法と呼ばれる憲法をも制定しました。

この頃にはメートル法や革命歴の採用、一般最高価格令の施行など各種政策、封建的特権の無償廃止などが実行されています。

とはいえ行き過ぎた恐怖政治はクーデターによって打破され、ロベスピエールもまたギロチンで処刑されることとなります(テルミドール9日のクーデター)。

その後は1795年憲法が制定され、国民公会は解散、総裁政府が成立します。

フランス革命における3つの憲法

法学系を受ける場合は特にこの3つの憲法は重要になります。

フランス革命時には91年憲法、93年憲法、95年憲法の3つがあり、それぞれの特徴があります。

91年憲法

制定:国民議会

政体:立憲君主制

議会:一院制

選挙:間接・制限選挙

特徴:第3身分である市民は制限を受けているため人権宣言とは矛盾する内容となっている。財産選挙であるため富裕層や特権階級に有利

93年憲法

制定:国民公会

政体:急進的共和制

議会:1院制

選挙:21歳以上の男子普通選挙

特徴:抵抗権や労働権などの社会権を含む民主的な憲法。革命激化のため制定はされたが施行はされなかった。

95年憲法

制定:国民公会

政体:2院制

選挙:間接・制限選挙

特徴:権力分立により権力の集中を防ぐなど王制や革命独裁の復活を阻む意図が反映されている。

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